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太田裕美の「木綿のハンカチーフ」なぜ木綿?意外ボブディランとの共通点|昭和の名曲

太田裕美の「木綿のハンカチーフ」なぜ木綿

1975年に発売された太田裕美さんの楽曲「木綿のハンカチーフ」は、時代を超えて愛され続けています。

遠距離恋愛の切なさを描いたこの楽曲は、その名前の由来となった”木綿のハンカチーフ”が一体何を象徴するのか、その謎を解き明かすことで、楽曲の奥深さをより理解することができます。

なぜ恋人がねだったのはこの木綿のハンカチーフだったのでしょうか。また、この楽曲は予想外にもアメリカの伝説的なミュージシャン、ボブ・ディランとの関連性があると言われています。今回は、そんな「木綿のハンカチーフ」の誕生秘話を振り返りつつ、歌詞の深い意味を一緒に考察していきましょう。

目次

木綿のハンカチーフ なんの曲?

「木綿のハンカチーフ」は、1975年に発売され、太田裕美の代表曲となった楽曲です。作詞は松本隆、作曲は筒美京平という、日本のポップス史上最大級のヒットメーカーである二人の才能が結集した一曲で、そのクオリティの高さは当時も今日も変わりません。軽快なテンポと印象的なメロディーが特徴の「木綿のハンカチーフ」は、リードギターの部分でギタリストの松原正樹さんの技術も際立っています。

この曲の歌詞は、遠距離恋愛を経験する恋人たちの切ない思いを描いており、当時としては珍しくミュージック・ビデオは存在しなかったものの、藍にいなの独特なアニメーションによって可視化され、聴く者の心に深く響きます。

木綿のハンカチーフ いつ流行った?

1975年と言えば、まさに日本の高度成長期が終わりを告げ、その後のバブル経済に向けた過渡期だった時代です。一方で、音楽業界ではフォークやニューミュージックと呼ばれるジャンルが人気を博し、その中でシンガーソングライターとして活動するアーティストが増えていました。また、アメリカではボブ・ディランやカーペンターズといったアーティストが大きな成功を収めており、彼らの音楽やメッセージは日本にも大きな影響を与えていました。

「木綿のハンカチーフ」は、太田裕美の4枚目のシングルとして1975年12月21日にリリースされ、瞬く間に大ヒットしました。それまでの作品も好評であった太田裕美ですが、この「木綿のハンカチーフ」はそれを上回る、彼女にとって最大のヒット曲となりました。

リリースされた当時の日本は、高度経済成長から安定成長期へと移行し、物質的な豊かさを手に入れつつも、人々の心は何かを求めている時代でした。その中で、「木綿のハンカチーフ」の切なくも美しいメロディと歌詞は、多くの人々の心に響き、大きな共感を生み出しました。その結果、昭和世代の間では特に強い懐かしさを感じる1曲として、今でも記憶に新しいという方も多いでしょう。

木綿のハンカチーフはボブ・ディランの曲から発想を得た

「木綿のハンカチーフ」の題材がなぜ木綿のハンカチーフなのか、その謎の解明の鍵は、この曲の元ネタにあると言われています。実は、この名曲はアメリカのシンガーソングライター、ボブ・ディランのある楽曲から着想を得て作られたものだったのです。

■「Spanish boots of Spanish leather (スペイン革のブーツ)」

木綿のハンカチーフの元ネタがあった

その元ネタとは、ボブ・ディランの「Spanish boots of Spanish leather (スペイン革のブーツ)」という曲です。1964年、ディランがまだ23歳だった頃にリリースした3作目のスタジオアルバム『The Times They Are A-Changin’(時代は変る)』に収録されたこの曲は、遠くに旅立つ恋人への想いを描いています。

木綿のハンカチーフとスペイン革のブーツ

「スペイン革のブーツ」は、ディランが当時最愛だった女性、スーズ・ロトロとの実際の恋愛のエピソードをもとにした曲で、その歌詞は恋人同士の手紙のやり取りを描いています。スーズ・ロトロはディランの2ndアルバムのジャケットにも登場する彼のミューズでした。

作詞家の松本隆はインタビューで、「木綿のハンカチーフ」の着想は、このディランの曲から得たことを明かしています。しかし、「木綿のハンカチーフ」と「スペイン革のブーツ」では、恋人を見送る立場が逆になっています。

ディランの曲では、彼がヨーロッパに旅立つ恋人をアメリカで見送り、贈り物を求められるも、「Just Carry Yourself back to me unspoiled」(ただ汚れずに帰っておいで)と答えます。一方、「木綿のハンカチーフ」では、恋人を見送るのは女性側。心変わりを知らされながらも、彼女が恋人に贈りたいのはただひとつ、木綿のハンカチーフだったのです。

Wiki スペイン革のブーツから引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E9%9D%A9%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%84

歌詞は若い恋人同士が交互に歌うという形式をとっている。最初に女が「愛する人よ/朝には私は旅立つ/海の彼方からあなたに送れるものはあるかしら?/降り立ったその場所から」と問いかけると、男は「愛する人よ/何も送らなくていいんだよ/欲しいものはない/君がまっさらのまま帰ってくれさえすれば/孤独な海の彼方から」と答える

木綿のハンカチーフなぜ木綿?

この名曲「木綿のハンカチーフ」の中で女性が求めたものは、何者にも染まらない「木綿のハンカチーフ」だったのです。しかし、なぜそれが木綿なのか、その答えは主人公の故郷、福岡県田川市にあります。

田川市は日本を代表する作家五木寛之氏の小説「青春の門」で知られる香春岳がある地です。この曲の中でも、主人公の男性は東へと向かう列車で旅立ちます。その彼に向けて、彼女はディランの曲と同じように「都会の絵の具にそならないで帰って」と歌います。

曲が進むと、恋人の心変わりが告げられます。これはボブ・ディランの「スペイン革のブーツ」と同じ展開を辿ります。そして、恋人を見送る彼女が最後に求めたもの、それは故郷と同じく何者にも染まらない「純白の木綿のハンカチーフ」だったのです。

「木綿のハンカチーフ」が選ばれたのは、木綿が地元福岡の素朴さ、清廉さを象徴し、また日本の伝統的な布として広く親しまれていることからでしょう。この曲を通じて、その純粋さと愛情の深さを感じ取ることができます。

木綿のハンカチーフ現代は?

現代社会はデジタルコミュニケーションが急速に進化し、遠距離恋愛でもLINEやスマートフォン、Zoomなどを用いてリアルタイムで繋がることが可能となりました。それにより、物理的な距離が心の距離に影響を及ぼすことが格段に減少しました。一方で、「木綿のハンカチーフ」が流行した1970年代のように、遠距離の電話代が高く、主なコミュニケーション手段が手紙だった時代には、恋人たちの間に時間と空間が生む遠距離感や寂しさは、よりリアルで深刻なものだったと言えるでしょう。

しかし、心の変化や心変わりが少なくなったかと言えば、それは必ずしも真実ではないかもしれません。人間の感情は複雑で変わりやすく、時にはテクノロジーの進歩が新たな問題を引き起こすこともあります。例えば、SNSやメッセンジャーアプリの普及により、新たな出会いが増えた一方で、パートナーが他の人とのコミュニケーションを隠すことが容易になり、それが不信感や不安を引き起こすこともあります。

そして、遠くの恋人が心変わりした時、私たちは最後のわがままとして何を求めるでしょうか?それは人それぞれで、多様な答えがあると思います。でも、それはきっと愛と共に過ごした時間への思い出、そしてその人の最も純粋な部分、つまり「木綿のハンカチーフ」の象徴するような「何者にも染まらない純粋さ」なのかもしれません。

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